横浜の中心部は埋立だった2024年09月23日 08:34

 写真は京急南太田近くにあるお三の宮日枝神社。創建350年。
横浜の守護神社として地元の多くの人の信仰の対象となっている。
ここのお祭りは盛大なものとして知られる。
 さて江戸時代この神社を建てようとした場所は釣鐘状の入江だった。それでここを埋立するという大事業が行われた。その時人柱となったのがおさん。おさんさんの犠牲のもと埋立が行われ、ひいて
は今の横浜のこの地域がある。詳しくは神社のHPを参照のこと。
 神社の境内には大きな楠と杉がある。

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